上中町古墳群                     

 脇袋の前方後円墳

 上中町は若狭のほぼ中央にあって、古代、古代極めて重要な場所であった。国道27号と303号の合流点に近い脇袋地区には、若狭で最大の前方後円墳「上ノ塚古墳」や「西塚古墳」・「中塚古墳」(16001500年前に造られた)があり、ここは“王家の谷”と呼ぶべき神聖な地だったようだ。金製の耳飾りや金銅製の冠などが出土しており、埋葬された人物の権勢を推し量ることができる。

  脇袋の背後には、膳部山という標高200m余りの山があり、古くは料理人のことを膳部(かしわで)といった事から、この山も膳氏とのゆかりを伝えるものと思われる。又、脇袋の南の「三宅」地区は「屯倉」(みやけ)に由来すると考えられる地名です。屯倉は、国造がヤマト王権・大和朝廷に献上した直轄領であり、中央が地方支配を拡大していく際の拠点ともなった。

 古墳時代に始まる若狭の塩造りは、ヤマト王権に献納」するためでもあったらしく、この時代から若狭は、膳氏が国造を納める御食国(みけつくに)、即ち海産物を中心とした食料を大王・天皇に献身する国として重要な位置を占めていたと考えられる。