北白川遺跡群

北白川の遺跡散歩

(財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館

  比叡山西南の麓、白川の流れがつくりだした扇状地には縄文時代以来、多くの遺跡が残されている。
  縄文時代、配石墓や甕棺墓、竪穴住居が発見された上終町遺跡、小倉町別当町遺跡、北白川追分町縄文遺跡、京都大学構内遺跡がある。弥生時代では、水田や水路、方形周溝墓などが京都大学構内遺跡群で見つかっている。 古墳時代には、石室をもつ円墳の池田町1・2号墳、追分町1・2号墳があり、現在は壊されて住宅地になっています。
  飛鳥・奈良時代には、回廊に囲まれた堂塔をもつ寺院が建立されていたことがわかる北白川廃寺跡、北白川1〜4号窯跡のような奈良時代の瓦窯も築かれていました。平安時代には目立った遺跡がありませんが、古代の埋葬法で作られた鎌倉時代の火葬塚が京都大学の北部構内で発見され、京都市の史跡に登録されています。
(長戸 満男)


  北白川遺跡群の遺物(玉田 邦英)


   京都盆地は縄文時代の遺跡が多い地域として知られている。その中で、比叡山から流れ出た河川が平地に出て扇状地を形成した北白川から一乗寺、修学院一帯には、特に遺跡が集中している。
   この地域に初めて人間の生活の跡が見られるのは、今から凡そ7000年前(縄文時代早期後半)で、北白川上終町遺跡では、楕円形や格子目などの形を刻んだ棒を土器の表面に転がして文様を付けた押型文土器の時代の住居跡が見つかっている。
   その後、凡そ6000年前(前期)には北白川小倉町遺跡、5000年〜4000年前(中期から後期前半)には北白川追分町遺跡と、南北5キロの範囲で、時代が変わるごとに場所を移しながら、縄文時代の人々が生活していた跡を辿ることが出来る。


  北白川下層T式土器

口縁は平口縁で、底部は尖り気味である。文様はD字状刺突文で、口縁部三段と胴部下半に三段が巡る。口縁部にも密な刺突が加えられる。


  北白川下層U式土器

口縁部は平口縁で、底部を欠く。文様は下半部がC字状刺突文、、下半部が羽状縄文である。C字状刺突文は、口縁部から胴部上半まで、七列巡らされ
ている。
刺突文の配列は、直線状と波状とを交互に配している。胴部下半には、左撚り及び右撚りの単節斜縄文からなる羽状縄文を施している。口縁部内側には刻み目を持つ。

このページのトップへ


   一乗寺K式土器

  一乗寺遺跡は、京都左京区一乗寺向畑町に所在する。ここに最初に縄文人が生活したのは、凡そ7000年前、早期後半の時期で、押型文土器と土器の表面を平らにするために貝殻でなでた痕跡の貝殻条痕の上に、紐状の粘土を貼り付け、細い竹の先端で丸い文様をつけた土器が出土している。
しかし、これらの土器は量は少なく、多くの人々が生活していたようではないようだ。
  一乗寺遺跡で再び人々が生活を始めるのは、凡そ3500年前、後期中頃のことである。縄文時代後期は、中期には温暖だった日本の気候が寒冷化に向った時代で北白川扇状地にはイチイガシなどのドングリが実る照葉樹林の森が広がっていた。残念ながら住居の跡は発見できないが、多くの土器、石器が出土し、この時代には人々が定着して生活していたことがわかる。そかし、同じ一乗寺遺跡内でも人々は少しずつ生活する場所を移していたようで、北、中央、南地点から出土する土器はそれぞれ器形、文様が異なっている。その中で、北地点の土器は器形や文様にそれまで知られていた土器とは違う特徴があり、近畿地方の後期中頃の土器として、佐原 真氏が一乗寺式土器と名づけた。Kは後期を差している。
  

東海地方起源の土器、普遍的に出土するが量は
多くない。

   一乗寺式土器には、ものを煮炊きする深鉢、盛り付ける浅鉢、液体を注ぐ土瓶(中口土器)の三つの器種のセットがある。
   深鉢には文様で飾り、丁寧に仕上げる精製深鉢と、前面に貝殻条痕が残る粗製深鉢の二種類があり、精製深鉢にも口縁部が、「く」字形に折れ曲がり、頸部がくびれて胴部が膨らむものと、口縁部が直線的に開き、あまり屈曲がないものとがある。 口縁部が折れ曲がる精製鉢は、口縁部と胴部の二箇所に文様を施す。口縁部は縄文を施した低い隆帯や、日本の沈線の間に縄文を施し、外部は無紋で残す磨消縄文により文様を描き、胴部には数本の平行沈線の間に縄文を引いて縄文を施す。口縁部、胴部の数箇所には渦巻き文が変化した「ノ」字文、逆6字文、C字文を入れる。頸部などの文様を施さない部分は丁寧に磨いている。屈曲のない深鉢は、胴部だけに縄文を入れ、口縁部と頸部は磨いて仕上げる。

     特殊な縄文


   一乗寺式は「からげ縄」という特徴的な縄文を多用する。縄文とは、繊維を撚った縄、つまり、撚り紐を土器の表面に柔らかいあいだに転がして縄目をつけるもので、撚り方によって様々な装飾効果を得ることができる。「からげ縄」は太い縄にもう一本の細い縄を巻きつけて結び目をつくった原体を転がすもので、ループ状の文様が現れる華麗な縄文となる。
  「からげ縄」は、一乗寺K式の直前の北白川上層式3期に一部の器種に限って用いていたものだが、一乗寺K式では多くの器種に普遍的に用い、まさに一乗寺K式土器を特徴づける装飾である。

舟形の浅鉢、一乗寺K式土器に
特徴的な器形である。
松原内湖遺跡出土土器、一乗寺K式の
直後の元住吉山T式土器で、左と
中央の土器は三つの山形の口縁。

このページのトップへ