日下遺跡 くさかいせき

日下遺跡

     日下遺跡

    日下遺跡は、日下町2丁目から7丁目にかけて広がる縄文時代から奈良時代にわたる複合遺跡です。昭和47年に遺跡南側が「日下貝塚」として国の史跡指定を受けたほか、これまでの調査で縄文時代の土坑墓・甕棺墓・居住・土器・石器等が検出された。その内、縄文土器は大半が縄文後・晩期のモノという。縄文人骨が34体確認されており、身体を上に向けたもの、横にしたもの、うつぶせにしたものなど様々な埋葬形態が見つかったという。土坑内に手足を折り曲げた状態で葬られた縄文人骨。大陸から移動してきた渡来人が稲作を伝えた時期が、稲作痕跡発見事例から縄文時代晩期から後期に遡りつつあることから、34体の縄文人骨の中には、渡来系人骨が混じっていないか?大変興味深い!河内湾に接した土地柄からも、大陸との直接交流が行なわれ、大陸文化が既に流入していたのではないかと考えられる。日下縄文人のルーツ解明のためにも、人骨のDNA鑑定結果が待たれる。貝塚からはセタシジミ・オオタニシなど淡水種9種、ハマグリ・サザエ・カキなど海水産が13種、ナミマイマイなど陸種3種の計25種が検出されたと言われ、河内湾から潟へ、そして湖へと変遷の痕跡が窺える。
  
    畿内と東北との間に形式の差が越えない
  
    日下貝塚の発見は森之宮貝塚の発見よりずっと古い。昭和7年、日下貝塚から出土した土器に東北地方の亀ケ岡式的な土器があることを発見し、それの伴う無文又は条線に富む(条痕)土器(滋賀里式)が縄文末期に、又、これに近い時期の西日本の縄文土器であるとして、縄文時代の終末が「畿内と東北との間にも形式の差が越えない」と言う。
  日下貝塚から出土した土器は縄文中期末から晩期の諸形式を含んでいるが、人骨は殆ど全て晩期前半期のものと考えられ貝塚の形成もそのころを最盛期としている。

   日下遺跡での土抗墓

   環状に巡る墓

   日下遺跡では、7基の土抗墓を直径6.2mの円周上に配置した環状列墓が見つかっている。このうち4基には成人女性、2基に成人男性を葬っています。遺体の埋葬姿勢は、男女ともに手足を曲げている。そのうち1基で1.12m×0.85mの穴に女性を迎向けで埋葬した土抗墓がありました。縄文晩期

日下遺跡での縄文人骨

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