「大湯環状列石」現地説明会

「特別史跡大湯環状列石・
          縄文への誘い」
             

             大湯ストーンサークル館

「大湯環状列石」現地説明会・2000   

     大湯環状列石は、万座・野中堂環状列石を中心とした、今から4000〜3500年前の縄文時代後期の遺跡です。万座・野中堂環状列石のようなとても大規模なものは大きな労働力と長い年月をかけなければ作りあげる事は出来ません。

 それらを作りあげる事ができた縄文時代には、それを支える豊かな生活力と文化力があったからということが環状列石の発見により示されました。そして、その貴重さから昭和31年に国の特別史跡に指定されました。

 以来、考古学者を初めとする多くの人々の注目を集め、様々な研究がなされ、現在では、環状列石を中心とした大規模な「まつりの場」として、訪れる人々に感動を与えています。

 調査成果「みつかった遺構」

 野中堂環状列石西・南・南東側隣接地を調査しました。調査では柱穴状・ピット231個、建物跡4棟、配石遺構1基、配石列1条、竪穴住居跡2棟、石囲炉2基、焼土遺構34基、フラスコ状土坑(貯蔵穴)33基、土坑59基、Tピット(落し穴)1基、土器埋設遺構1基が見つかりました。

 柱穴状ピットと建物

 柱穴状ピットとは、建物の柱を立てるために掘られた穴です。環状列石の周囲でみつかり、列石外帯から約13mの範囲内で見つかることが解りました。

 これら沢山の柱穴状ピットをよく観察すると、同じ大きさや深さの規模のものがあることがわかりました。それらを結ぶと六角形や四角形の柱配置の建物になることが解りました。その他、小さな柱穴状ピットが円形に配置された建物もあることが解りました。今年度の調査では、4棟の建物跡が見つかりましたが、今後の分析によってこの数は増えると予想されます。これらの建物跡は、炉が伴わず生活に使われた遺物等も見つからないことから、住居ではなく、「まつりの儀式」のために使われたものと考えられます。

 配石遺構

 配石遺構とは、色々な形に石を人工的に配列したものを言います。調査では野中堂環状列石南側の台地縁部で1基見つかりました。川原石や礫を径8mの環状に巡らし、南側に直線状に石列があります。又、一部には組石遺構も見られます。確認された土の面から万座状列石周辺で見つかっている「環状配石」と呼ばれているものと同じ時期に作られていることから、「環状配石」と同じような、「まつり」のために作られたものと考えられます。

 配石列

 配石列は、石を列状に並べたものです。環状列石北東側で見つかりました。今年は一条しか見つかりませんでしたが、未調査区の北側にもう一条見つかるものと考えています。環状列石という「聖域」への出入り口部と思われます。

 竪穴住居跡

 竪穴住居跡は人が澄んだ縄文時代の家です。調査では2棟見つかりました。2棟は床面に置かれていた土器や土器片から、それぞれ違う時期につくられたことが解りました。環状列石南東側のものは、列石と同時期に造られたものです。南東側では1棟しかみつかっていないことから、環状列石周辺には住居群がない可能性が高まりました。

 このことから、「まつり」を行なう人が利用した可能性が考えられます。

北東側で見つかっている竪穴住居跡は環状列石より新しい時期に作られたもので、環状列石を作り終えた後も祭りが行なわれていたことを伺わせます。

 土坑

 遺跡で見つかる用途不明な穴のことを総称して土坑と呼んでいます。楕円形や円形等その形は様々です。調査では環状列石の周囲から見つかっています。今年度の調査では壊れていますが、1個体の土器が出土している土坑も見つかっています。

 石囲炉

 石囲炉は屋外に作られた火を焚く炉のことです。通常の遺跡では、細長い川原石を円形に並べるものが多いのですが、環状列石周辺で見つかるものは、円形に並べたものに三角形状の石で張り出し部を作るものもあります。見つかったうちの1基にはその張り出し部分の近くに、土器が置かれてありました。

 焼土遺構

 焼土遺構とは石囲炉とは別に、地面に残された火を焚いた跡のことです。調査地の南側で見つかりました。恐らくこの場所では、「火まつり」が行なわれていたものと思われます。

 調査成果のまとめ

@        野中堂環状列石も万座環状列石と同じように、周囲に建物跡や出入り口部分があることがわかりました。 A 野中堂環状列石周辺で見つかる遺物が、万座環状列石で見つかったものと同じ時期に作られたものであることが解りました。 B 南側出入り口部分の先に火まつりが行われた跡や、野中堂環状列石より新しいと思われる配石遺構が見つかりました。この事から環状列石の出入り口方向に、野中堂環状列石と関連する遺構が分布することがわかりました。C 以上のことから、万座環状列石と野中堂環状列石は同時期に作られた可能性が高くなりました。


「特別史跡大湯環状列石・縄文への誘い」            

             大湯ストーンサークル館

   特別史跡大湯環状列石は、野中堂・万座環状列石を中心とする、約4000年前(縄文時代後期)に作られた大規模な遺跡です。

 二つの環状列石は、沢山の石組遺構が二重の環状に並べられたもので、列石の中心からみて北西の位置に「日時計状組石」が作られている。

 万座環状列石の規模は径48m、野中堂環状列石の径は42mを計ります。

 発掘調査によって、川原石で作られた環状配石遺構や配石列、貴重な食料源であったクリの木を利用した建物の跡、地面を掘り窪めた貯蔵穴や落とし穴が発見されている。

 列石周辺からは日常使用した多量の土器や石器のほか、安産を祈願した土偶、豊作や豊漁を祈願するときに使用したキノコ・動物型土製品、子供の成長を願って作られた足形石製品、実用品とは思えない石刀等が発見されている。

 環状列石そのものはお墓の集合体ですが、周辺から発見された建物跡や土・石製品から遺跡全体は先祖を祀る場、恵みを与えてくれる自然への感謝と祈りをする場所であったと考えられる。

 又、二つの環状列石の中心と二つの日時計を結んだラインは、ほぼ夏至の日没の方向を指し、天体にも関心を持っていたことが解っています。

 大湯には野中堂と万座の二つの大きな環状列石があり、万座環状列石に近づくと、保存作業のためにブルーシートが掛けられている。

環状列石の側にあった配石遺構。    環状列石の一部で、河原の石を使っているために丸い物が多い。

環状列石の一部で沢山あります。    環状列石の一部。



全て環状列石。

環状列石の一部ですが、この石をどけると、下にお墓があります。

環状列石と建物・倉庫でしょうか?

 配石遺構

野中堂環状列石は2重の輪になってい、これは外側で、下が内側



立石、日時計ではないかと言われた時期もあったが、
お墓である事が確認された。立石・お墓

野中堂環状列石の遠景。

表土層から6070cmの所に埋まっていました。

野中堂環状列石の遠景、二重になっている。

野中堂の環状列石の遠景で立て石が目につきます。

野中堂の遠景です。

沢山の石です。

復元された倉庫と風景。

大湯の復元された風景。

   大湯ストーンサークル館