「大湯のストーンサークル」


  「大湯のストーンサークル」(日本の深層・梅原猛抜粋)  

 数あるストーンサークルの中で、大湯のストーンサークルは量も大規模なものであった。放射状に並べられた石の真ん中に、細長い石が直立している。

それがストーンサークルの一つのセットである。そのセットをなした石が、環状に並んでいるのである。そして、その真ん中にはひと際整然とした、放射状の石に囲まれ直立した石がある。

それが大体ストーンサークルの共通な性格なのであろう。大湯のストーンサークルの一隅には、縄文時代の骨が出てきたとも言う。そうすればストーンサークルは、墓場であるに違いないが、必ずしも墓場ではないストーンサークルもあるのである。

知床博物館の金森氏の話では、斜里の郊外に二種類のストーンサークルがある。一つは確かに墓場であるが、もう一つは違う。ストーンサークルの真ん中には火を使った跡があり、焚き火をしたらしいのである。ストーンサークルは墓場でもあるし、墓場でないものもある。

 そこには、実用的な意味が含まれているのではないかと思う。石を崇拝する。それはやはり、人間が石器を作り始めたときから始まるのではないだろうか。

 人間は石器を作って道具をつくり、そして石器時代の人間は実に様々な工夫を凝らし、殆ど加工することが出来ないと思われる石から、実に様々な石器を作りだすのである。そのような技術の発展と石の崇拝は、はたして無関係なのであろうか。石器時代人の石に対する崇拝は、やはり石器の生産と深くつながっているようにおもわれる。

 このような石器の発達は、また豊かな木器を生んだ。木は、人間の生活を豊かにさせた。木は家を提供し、着物を提供し、そして食物を提供する。

そして石器時代から新石器時代に移るにいたって、このように石器の製造方法の改善と共に、木器の種類も著しく増えたのに違いない。そしてついに土器が出現する。こういう文明を提供するものとして、石が火と共に崇拝されるのだと思う。

 ストーンサークルは、ただ石の崇拝だけでは考えられないのである。その崇拝される石は、放射状に並べられた石の真ん中にある、細長い石なのである。  この細長い、天に向って直立に立つ石の意味は何か。恐らくそれは、一つの柱であるに違いない。それは天と地を媒介する柱に違いない。

最近、北陸の地、チカモリや真脇で発見された巨大な木の柱のサークル、それはストーンサークルとそんなに意味が変わるとは思われないのである。いづれもそれは、天に向って直立している柱の崇拝なのである。

 天と地上を結ぶものである。神は、その柱を伝わって天上から地上に降りる事が出来るが、しかし又、その柱を伝わって地上から天上に昇ることも出来るのである。若し、ストーンサークルの幾つかが墓であるとしたならば、その柱は神の衣代という意味よりは、神を天に送る柱という意味をより強く持っているだろう。

そこに祀られているのが人間の霊であるならば、その人間の霊を、柱に依って天に送り届ける。そういう意味を、この直立した石や木の柱は担っているのではないだろうか。

 このように考えると、サークルの意味もほぼわかるように思われる。サークルはやはり、天体を意味するものであろう。太陽が東から昇って西へ沈む、それをやはり古代人は、一つの円運動と考えたに違いないと私は思う。

それは、もっとも簡単な自然観察によって見られる所であるし、また化学的にも正しいのである。天動説を取るにせよ、地動説をとるにせよ、やはり天体は円運動をしているのである。

古代日本人も、まさに天体の運動を円運動として捉えたわけであるが、それは勿論純粋物理的な円運動ではなく、一つの意味を持った円運動を意味したのであろう。太陽は東の空から上がって、西へ沈む。それは生と死なのである。 

太陽は夜になって一度死んで、またその翌日甦って、東の空から昇るのである。天体の円運動の中に、日本の古代人は生、死、再生へのドラマを見るのである。このドラマは毎日起こっているし、もっと長いスパンにおいては、毎年起こっているのである。

冬になると、太陽の力が弱り、殆ど死のうとする。しかし春になると、やがて太陽はその力を回復して、人間の世界に様々な幸せをもたらすのである。

ストーンサークルやウッドサークルのサークルは、そのような生と死を象徴する天体の運動の表現であるように思われる。従って、死の方に重点が置かれた墓場にも、或いは生の歓喜がを表す祭場にも、そのようなサークルが作られるのであろう。

(秋田県大湯)