北海道の 環状土籬

 周提墓と環状列石 (北海道大学大学院・小杉康=「新北海道の古代」)

 周提墓(縄文文化の最大級の遺構)

 周提墓はその存在が北海道域のみで確認されている特異な墓地形態である。

 環状列石の名称に対して、長らく「環状土離」とも呼ばれてきたが、その全てが墓(墓地)であることが確認された。

 後期後半に構築され、その分布は石狩低地帯を中心とした道央部に集中し、一部道東にも広がっている。

 この周提墓こそは、現代の地表面にまでもその形状の凹凸をまざまざととどめている縄文文化の最大級の遺構である。

 地表面を円形に掘り下げ、その排土を周辺に環状に積み上げ周提にする。

あたかも竪穴住居の基礎と共通する造りである。原則として周提の内側の凹部に墓を設けるが、内部の墓が過密化してくると周提上にも造られる場合がある。

 キウス周提墓は特に有名であるが、その内の一つ、二号周提墓は直径75m、周提の高さは内側の底面から5,4mにも及んでいる。

  このような巨大な例を含む周提墓が何故作られたのかについては、色々な議論が交わされている。

 周提墓の構築に際して集団が共同して大規模土木工事を行うことや、やがてそこに共に葬られるという意識が、集団内の結束を強めたとする見解もある。

 そこに葬られた人々はそれを構築した人たち自身であり、周提墓が全体として表徴するものは、互いの直接経験的な記憶の範囲に留まった具体的な祖先観に過ぎないと考える論者は、周提墓の存在に対して同時代的な象徴的機能しか認めない。

 環状列石と周提墓の間をつなぐ中間的な様相を呈するのではないかとささやかれている、近年発見されたばかりの石倉貝塚である。

 「謎の石倉環状盛土遺構」は別枠として、続いて、環状列石を考えてみたい。

   環状列石

  環状列石と呼ばれる縄文文化の遺構には、各時期・各地域で共通する特徴は地上に石を円環状に外列するところにある。

 単独の土坑墓の上に石を環状ないしは円形に配したものは、いはゆる「配石墓」の仲間であるが、その配石の規模が大きい場合には、それも環状列石(ストーンサークル)と呼ばれることもある。

 縄文前期後半に中部高地に出現した環状列石は立石を伴うこともある集石遺構を単位として、それらが集合して大規模な環状を呈する。代表的な遺跡名をとり「阿久型環状集石群」。その阿久遺跡(長野県)では推定直径90m〜120mに達する。

  墓の集合体である環状列石としては秋田県の大湯環状列石(野中堂、万座)がある。 縄文時代後期前半に東北北半を中心に盛行し、晩期までその類例が見られる。万座例で直径46m、野中堂例で直径42m。

   新しいタイプの環状列石が、小牧野遺跡(青森県)で発見されている。時期的・地域的にも「大湯環状列石」と並存している点が興味深い。小牧野遺跡ではその構築に当たり、まず緩斜面の山側を削り、その土砂を谷側に押し広げることで平坦面を作り出す。削り取りによって生じた山側の段を利用してそこに配石を組み、円環の片側を立体的な構造を仕上げる。その周辺に乳幼児棺や再葬棺としての埋設土器を伴う場合もあるが、原則としては伴わない、或いは必要としない。

 伊勢堂岱遺跡(秋田県)の環状列石A]は配石が二重に巡るものである。内環の内側は皿状に掘り窪められ、又二重に巡る外環と内環の間には土が土手状に埋め込まれ、コロシアム風の立体的な構造になっていたと想定される。



  北海道域の環状列石

  北海道域の環状列石は縄文後期の前半にほぼ集中して営まれ、道南部から道央部、道東部にまで分布する。

 特に北海道域においては規模の大小に関わらず環状を呈している配石遺構をおしなべてストーンサークルと呼ぶ傾向がある。小型の事例は個人墓としての環状や円形の配石墓であることが多く、それらが散在したり群集する点に、北海道域の同期の墓(墓地)の特徴がある。

 直径7m弱と小振りではあるが「湯の里5遺跡」(上磯郡知内町)は、列石が二重に巡り、内環を一段掘り下げるものである。後期前半に属する。外環と内環の列石は地表に突き出たように配置されているが、両環の間には土が土手状に埋め込まれていたと想定される。

  規模こそ異なるが、形成方法は伊勢堂岱例と共通する。

  著名な忍路環状列石(小樽市)も環状列石の事例であると思われるが、発見が早かっただけ現代の多くの手が加えられており、そのままの形態ではなかったようである。

  環状列石群については、そこが単なる遺骸を処理する機能をもった個別の墓を集中的に構築した墓地の機能のみであるならば、それをことさら巨大記念物と呼ぶ必要はない。

  しかし、そのような墓地が全体として遺骸処理以上の機能を果たす場合、即ち死者がでるたび毎に葬送・埋葬儀礼が執行されるのに留まらず、例えば死亡した親族に対する直接経験的な記憶を超えて間接経験的でかつ観念的な祖先観がその全体によって表徴される場合など、それは当事者にとっての記念物、まさに巨大記念物の相貌を備えてくる。

  環状や円形の配石を伴う個人端課が群集する形態をとる北海道域に多く見られる墓地遺跡の事例は、全体としてそれを記念物と判断することが難しい。

  配石遺構一般の調査技術と共に、考古学者にとって今後の重要な課題である。