「再生を願う胎児と妊婦の葬法」
「土偶に秘められた深い悲しみ」
私は、タレ婆さんにアイヌの葬法の話を聞いた。
アイヌでは、子供の葬式と大人の葬式は違う。子供は家の入り口に逆さに甕に入れられて埋められる。
何故子供は家の入り口に埋められるかと言えば、そもそも全ての人間の生命は祖先の霊が帰ってきたのに、この世で良い目もせずにあの世へ送り返すのは可哀想でもあり、また帰ってきたご先祖さまにすまない。
それで子供の霊は大人のようにあの世へ送らず、もう一度母の胎内に帰って生まれて来い、という願いを込めて、家の入り口に逆さに甕に入れて埋められるのであると言われた。
縄文時代の子供葬り方と同じである。入り口によく人の通るところに子供は甕棺に逆さに入れられて埋められる。アイヌ文化は縄文文化をそのまま継承している。
甕は恐らく子宮のイメージであり、母の子宮に帰って、もう一度生まれ変われという意味であろう。入り口は、よく人の通るところであり、よく踏んで、即ち、よくセックスをして、生まれて来いと言う意味であろう。
さらにタレ婆さんは言った。子供の葬式は大したことは無いが、一番厄介なのは胎児を腹に宿した妊婦の葬式である。
このとき、ひとまず普通の葬式のように葬儀を行なわれ、妊婦は墓に埋められる。ところが翌日、取り上げ婆のような役目の婆さんが墓場に行き、その妊婦の屍を掘り出して、妊婦の腹を裂き、胎児を取り出し、それを妊婦に抱かせてあらためて葬るというのである。
アイヌにとって人間の生は全て再生なのである。胎児は全て祖先の誰かの霊が帰ってきて、胎児になったものである。
ところが妊婦が死んで、胎児が妊婦の腹の中に閉じ込められれば、胎児は到底あの世へは行けない。勿論母は死んだのであるから、妊婦の腹の中の霊は行き場を失った霊であるということになる。
はるばる遠いあの世から帰ってきた先祖の霊が行き場を失ったとすれば、それは祟りをせざるをえない。それで胎児を取り出して、母親の腕に抱かせて母親と共にあの世へ送る必要があるというのである。
土偶に秘められた深い悲しみ
縄文の土偶も土器と共に芸術品として誠に素晴らしい。
この土偶を形成する条件は、土偶には男の土偶、老婆の土偶や幼女の土偶も無い。そして、腹は大きく膨らんだもの、かすかに膨らんだものもあるが、全て妊婦の兆候を示している。
そして形はハート形土偶、ミミズク形土偶、円筒形土偶、遮光器土偶など様々であるが、普通の人間の顔ではない。そしてその眼は固く閉じられているか、瞳孔が開いているかである。又全ての土偶の腹の真ん中には傷のような縦真一文字の線がある。そして不思議なことには土偶は全て割られている。頭と足が折れていたり、バラバラなものもあり、完全ではない。
土偶は全て妊婦の像であると言うことは、
第1、 土偶の妊婦の埋葬の時に使われたとすれば当然のことである。
第2、 第2の土偶は全て普通の人の形をしておらず、奇形な風貌をしているというのも、理解される。土偶は全て死霊を表すからである。死霊が普通の人間のようではなく、奇怪な顔をしているのは当然である。
第3の腹に縦真一文字にある傷こそはまさに土偶の本質を示すものであろう。
腹を縦真一文字に引き裂いて胎児を取り出した跡を表したものであろう。
第4に、土偶には完全なものは無く、全て肢体がバラバラにされている。
これもアイヌの考えに照らしてみれば、アイヌの社会ではこの世とあの世はあべこべである。この世で完全なものはあの世では不完全であり、この世で不完全なものはあの世で完全なものであると言う考えがある。この考えは本土に於いても、葬儀の時に死人の着物を左前に着せたり、死人に供える茶碗などを割る風習は今でも残っている。
土偶から聞こえる妊婦の絶叫
土偶は、縄文時代の素晴らしい芸術品だといわれるが、その役割については様々な議論がある。三内丸山遺跡からも、縄文時代から土偶が非常に沢山出土しているが、土偶には四っつの特徴がある。
まず、全て女性であり、妊婦の姿をしている。しかも老婆ではなく、15・16歳から40歳くらいの成年の女性である。二つ目は、目はうつろであるか閉じており、その顔は異様である。三つ目は、腹部に腹を縦に裂ききったような大きな傷がある。四ッつめは、三内丸山遺跡からは比較的完全な土偶も出土しているが、殆どの場合は、バラバラに割られて、葬られていること。
土偶は妊婦が死亡した状態を表現したものであり、恐らく、破壊することによって、不幸にしてこの世には人間として生まれ、幸せになることが出来なかったが、あの世に行ったら、完全な人間として生まれ変わって欲しいという願いを捧げて、妊婦と胎児と、土偶の三つを一緒にして葬ったのではないかと考える。
(梅原 猛)